日本第2号となるトラディショナル型サーチファンドを設立した志村光哉氏。大手企業に勤め順風満帆なサラリーマン生活を過ごすも、幼少期の想いから経営者を目指すために海外MBAへの進学することを決めました。

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MBAでは一体どんな勉強をしたのでしょうか

MBAには世界中から経営者としての勉強をするために人が集まります。そこでは毎日クラスの中でさらにグループを作りワークを繰り返します。MBAはそういったビジネスに近いシチュエーションで経営者としての意思決定を行う訓練の場でありますが、私が一番勉強になったことは、ダイバーシティです。私がいたクラスは小さく18人しかいなかったのですが、その18人の国籍は22か国。1人で2つの国籍を持つ人が当然のようにいるなんて日本にいたら考えられないですよね。そういた環境でどうサバイブしていくのか。30年間あまり日本でしか生活をしてこなかった自分が、このダイバーシティの中でどう価値を発揮していくのかと常に向き合った日々でした。なにを学んだかは大切だけれど、どう学んだのかという点は、新鮮であり非常に勉強になりました。

その中で特に学びになったことはありますか?

私はMBAを始める以前から、どうやって自分でビジネスを興そうか考えた時に悩みがありました。自分には確固たるアイデアがなかったんです。このアイデアで世界をかえてやろうといったアイデアがなく、どうやって起業したらいいか悩んでいるとき、MBAの先輩・卒業生と話していく中で、買収を通じた起業という手段があることを知りました。0から1を作るのではなく、今あるいろいろな会社に途中から入って、それを大きくする手段があることを知り、とてもおもしろそうだと思いました。

そこで、MBA内にあった、サーチファンドクラブに入りました。サーチファンドクラブというのは、サーチファンドに興味がある人に対して月に数回、勉強会や交流をひらくというものです。投資家の人やサーチャーの人に出会う機会ができ、お金だけではなくどうやって企業を見つけるのか、どうやってお金を集めるのかなど知識や経験を共有していただき、非常に勉強になりました。
日本ではアクセラレーター型というファンドが資金を出す形が主流であり、私もMBAに行く前から聞いたことがありました。しかし、世界ではサーチファンドというのは自分でお金も投資先も集めてくるトラディショナル型が主流ということを知り、これだ!という直感がクラブでの活動を通して確信にかわっていきました。

MBAでの出会いと経験がサーチファンド設立のきっかけになったんですね。

その通りです。早速、在学中よりサーチファンド設立に向けて資金調達を始めました。だけどなかなか思ったようにはうまくいきませんでした。というのも、日本でなじみのないサーチファンド投資は、日本ではまだ確立されていなかったこともあり、日本人投資家の反応はよくなかったのです。また海外投資家からも、日本企業に投資するファンドなのに日本人投資家が集まらないことを指摘され、卒業式を迎えた時にはまだ30%しか集まっていない状況でした。

それはピンチですね。どうされたんでしょうか

ダメ元で日本国内のPEファンドに営業メールを送りました。日本ではサーチファンドにPEファンドが出資した例はなく、海外でも多くはありません。それでもできることすべてしたいと思い、当たれるだけ営業をしたんです。私の武器は行動力だと。それでも連絡はこなく、やっぱりだめか、と思っていた時プライベートエクイティ株式会社の社長である法田社長から面白そうだから一回会いましょうと連絡がきたんです。もう、飛び上がって喜びましたよ。後にも先にもPEファンドから連絡がきたのはこの1通だけした。

まさに蜘蛛の糸だったわけですね。

帰国後、早速法田社長に、トラディショナル型サーチファンドの可能性について説明させていただきました。法田社長は日本の事業承継ファンドの先駆け的存在。不安もありましたが、話していく中で日本の事業承継問題解決の新しい切り口として面白いと思っていただくことができました。
また、私はサーチファンド投資自体が、国際的な統計だとIRRは30%を超えるなど非常に割のいいアセットクラスと考えています。投資対象としても魅力的だと見てもらったのではないかと思っています。

それはいい出会いでしたね。

日本プライベートエクイティに参画いただいたのはまさに転機でした。私自身、信頼がないことを課題と捉えていました。海外投資家ばかり集まる中で、日本で歴史と実績を備えた日本プライベートエクイティが入ったことにより、日本人投資家からの信頼度が格段にかわりました。

では、なんとかファンドレイズができたんですね。

いえ、投資家が集まってきたと思った次に別の問題が発生しました。契約書です。正直、私自身契約書はそんなに苦労しないと思っていました。しかしよくかんがえればわかることだったのですが、今回集まった投資家は18社6か国。言葉や文化の壁を乗り越えるのに苦戦しましたし、そういったドキュメント作業を含めた資金調達の長期化による情勢変化などにより、投資家の離脱危機が発生しました。集めるだけだと思っていたので、完全に見誤りました。
特に利益の配分に苦戦をしました。サーチファンド業界では一般的な条項も、日本人投資家からみると、なんだこれ?と言われることも。結果として、国内でサーチファンド法務の第一人者である西村あさひ弁護士事務所の本柳先生と平原先生に入って頂きましたが、改めて日本でのサーチファンド投資確立の壁を感じました。



後編では、ついにトラディショナル型サーチファンドの設立をやり遂げた志村氏が目指す、新しい事業承継の選択肢とその想いに迫ります。

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