今回は日本第2号となるトラディショナル型サーチファンドを立ち上げた、M-capital合同会社志村光哉氏への特別インタビューです。前編中編後編の3部にわたり、サーチファンド立ち上げに至った経緯と、その想いに迫ります。
志村社長はどのような幼少期を過ごされたのでしょうか
私は山梨県で経営者の父のもとに生まれました。祖父も自分でビジネスをやっていたこともあり、経営者が身近な環境でした。彼らが一生懸命働いて世の中に貢献している姿を小さいころから見ていたので、私自身も自分でビジネスを持ちたいと思っていた子供でした。
小さいころから経営者を目指すなんて、珍しいですね。
そうかもしれません。そこからモノ作りに関心を持ち、理系として早稲田大学と大学院に進学しました。大学院では水処理、いわゆる工業廃水を綺麗にする研究をしていました。文献を読んだり論文を読んだりするのは非常に楽しく、最後は共同開発ではありますが、廃水の浄化装置を作り、特許をとったりもしました。新しいことをやる、突き詰めていくのが好きなタイプです。
でもそこで一つ勉強となったことは、特許をとってもそれでけでは1円にもならないということ。いい技術があってもそれを広めていく仕組みがないと世の中の役に立てないということをその時に初めて気が付きました。そこでいい技術をもっていて、それを世の中に広めている企業にはいれば、技術を広めていくノウハウが学べるかと思い、理系ではなく文系での就職活動を始めました。
その後、どこに就職されたのでしょうか。
東レという素材メーカーに入社しました。東レは当時先進的な取り組みを行っていました。炭素繊維を航空機に採用したり、海水を淡水に水処理するフィルターのようなものをつくったり、世の中を変える革新的な技術をうみだしていました。そういう技術を広めていくのかという点に非常に関心をもちました。
東レではどのようなお仕事をしていたのでしょうか。
プラスチックフィルムの部門に配属され、その中で、東レのフィルムと技術を使い、お客様と新規事業を開発していく仕事をしていました。プラスチックフィルムはいろいろなものに使われています。食品の包装やタッチパネル、液晶テレビなどいろいろなところに使われているので、自分のアイデア次第でさまざまなビジネスに発展していく可能性があり、とても楽しかったです。
まさに自身がやりたいことをやれているように見えますが、なにか転機があったのでしょうか。
8年間働いたときに、このまま経営層になるのにあと30年かかるというのに気づきました。それになれるかどうかもわからない中で、キャリアチェンジを考えはじめました。
そんな中で、私はいままで営業やマーケティング、新規事業開発をやってきたので、それ以外のハードスキルを身に着けたいという思いから、ビジネススクールで1年間勉強することをきめました。
そうだったんですね。ビジネススクールはどちらに行かれたのでしょうか。
スペインのマドリードにあるIEというMBAに通いました。このMBAはアントレプレナーシップの分野で評価が非常に高い学校で、私自身が起業に関心があった点、日本人の卒業生も多く、魅力的なキャリアを進んでいる点などから、決めました。
社内公募ではなく、自費留学の選択を選んだため、毎日勤務時間の前後で留学に必要な勉強や準備を進めました。学費は貯金に加え借金をして工面しました
ものすごい行動力ですね。
私はもともと好奇心が強い性格で、学生の時には世界中をバックパック旅行して、いろいろな文化に触れたり、人と話をして、自分がどう感じるのかといのがとても好きでした。東レの仕事が好きだったのも、いろいろなお客様と色々な取り組みができるというところがありました。
サーチファンドという仕事も、いろいろな企業とビジネスをみて、いろいろな経営者の方と直接会って、その中から自分が一番惹かれたものにアプローチするというところが向いていると考えています。
まさに、今回の設立につながっていくわけですね。
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中編では志村光哉氏がMBAを通じてトラディショナル型サーチファンドに出会ったきっかけと、ファンドレイズにあたっての苦労に迫ります。